黒光りする母と、四十代で知った人間関係のポートフォリオ
東海道五拾三次 藤川 歌川広重
小学校の頃、母はボディビル大会に出ていた。毎週末の水泳大会は忘れられない。スキンヘッドの筋肉質おじさんがダンベルを持ち上げているイラストのTシャツと、派手なネオンカラーのまだら模様のボトムス、リーボックのシューズ。黒光りした母があの格好で現れるたびに、穴があったら入りたかった。
そんな変わった両親は親戚付き合いが苦手で、わたしたちはかなり孤立していたと思う。それでも趣味は多く、それなりに楽しく暮らしていた。人と付き合いのない、少し変わった親に育てられた一人っ子は、数人の友達からしか人間関係を学ばなかった。いや、学んだのかどうかさえ、今となっては疑わしい。
中学を卒業すると同時にオーストラリアに放り込まれ、真面目な箱入り娘には恐怖しかなかった。そこでどう振る舞えばいいか分からないまま、その性格を引きずり、結局現地の友達は一人もできず、6歳下の日本人の女の子とばかりつるんでいた。
人と関わっていると、どうしても相性は生まれる。わたしはその相性さえも何とかしようとしてきた。
100人いれば100通りの付き合い方があると思い、臨機応変に対応したつもりだったが、いつも手探りで、迷路の中を歩いているような感覚で、正直、人間関係にはひどく疲れていた。その人ごとに自分を変えて、結局相手の変化に依存しているだけだったから。
当時知らなかったのは、相手を変えようとしたり、合わせようとするのではなく、自分の中でどこかで折り合いをつける、ということだった。
ここまで、という線を引く。黙って静観するか、優しさの強い声をかけるか、自分の中に基軸を持ち、誰にでも同じように接すること。
相手の意向を尊重し、受け入れること。
分かろう、分かってもらおうと無理に思わないこと。
人には誰だって、いいところも悪いところもある。その両方を含めて、個々を認め、静かに見守ること。それらは圧倒的経験からしか学べないことだった。
スペインに来て、別の家族と家族になったとき、本当のカルチャーショックを受けた。自分が普通だと思い込んでいた核のようなものが崩れた。
頻繁な親戚付き合い、家族の中での立ち位置、皆でゆっくり食べる食事、何もかもが新しく、羨ましくて、受け入れ難いものだった。比べる対象ができて初めて、自分の父や母のことを改めて見つめ直せる機会ができた。
子供ができると、付き合いが増した。
国境を越え、張っていた境界線も自然と緩み、どんどん子供が人を引き寄せてくる。日々そのような環境に身を置くと、見えてくることがあった。
人は思い通りにはならないし、期待している通りではない。だからこそ、自分の中であらかじめ折り合いをつけておく。そうすると感情に振り回される時間が少しずつ減り、結果として自分を守れるようになる。
距離感を掴むとは、石の上にもう一つ石を置き、倒れない位置を探すようなものだと思う。相手を思わないわけではなく、自分を犠牲にするわけでもない、ちょうど良い場所を知ることではないか。
それでも、もっと深く関わりたい、ぶつかってでも近くにいたいと感じる瞬間はある。
私たちはよく、自立とは誰にも頼らないことだと思い込んでしまう。だから相手に合わせようと必死になったり、迷惑をかけないようにする。
その一人の相手に期待を集め、自分でも気づかないうちにすり減っていく。
東京大学准教授で小児科医の熊谷晋一郎氏は、自立とは依存しなくなることではなく、依存先を増やしていくことだ、と述べている。
依存することは悪くない。問題なのは、一人だけに依存してしまうことらしい。
もしあなたが、わたしのように深く狭く付き合いたいタイプなら、あえて逆に、浅く広く交友関係を持つことを意識してみてほしい。依存先が多ければ多いほど、メンタルは安定する。
これは家族でも兄弟でも同じことが言える。何かがあったときの打撃も、依存先が多ければ分散される。
わたしの両親は少し変わっていたけれど、それでも彼らしかいなかったのも事実だ。親と仲良くしていないと、生きていけなかった。もし昔の私に一つだけ伝えられるなら、一人に人生を預けないことだ。
それを知ったのは、四十代になってからだった。
だからこそ、すれ違う人々に少しずつ自分を預けてみる。ここで街を歩けば、八百屋のおじさんが子供に声をかけ、バルのおばちゃんがわたしの言葉を笑って受け止める。彼らはわたしの深い苦悩を知る友人ではないけれど、日常を支える依存先のピースのようだ。
国籍も育った環境も違っても、わたしたちは同じように傷つき、同じように誰かを愛そうとし、同じように夜を迎える。
以前わたしが必死にパーソナライズしようとしていた人間関係は、実はもっと大雑把で、もっと温かい、ひとつの大きな流れのようなものだったと感じる。
喉が渇けば水を飲みたくなるし、夜になれば眠くなる。人の営みには、思っている以上に共通するものがある。
同じ物質であるわたしたちが、お互いの形を崩さずにそこに存在するために境界線を引くことは、拒絶ではない。
今、スペインの眩しい太陽の下で、子供が連れてくる多様な人々を眺めながら、わたしはあの時穴に入りたかったあのネオンカラーの母の姿を思い出す。彼女もまた、一人の人間として、精一杯生きていただけだった。
そして、あの時のわたしのように、一つの関係性の中で息が詰まりそうになっている人がいるなら、その握りしめた手を少しだけ緩めてみてください。世界には、思っている以上に、打撃を分散してくれる数が存在しています。もう一つの石をそっと積み重ねるように、その絶妙な距離感を見つけたとき、わたしたちは初めて、誰かと共にいる自由を知るのでしょう。
藤川宿の絵には、旅を先導する馬、頭を下げる地元の人々、そして静かにすれ違う旅人たちの日常が、穏やかに描かれています。
一人にすべてを預けるのではなく、宿場町を行き交う旅人のように、浅く広く、でもその一瞬の触れ合い(縁)を大切にしながら生きていくような絵です。
人やお金、国境を越えて暮らす中で
気づいたことを書いています。
これも何かの縁です。
引き続きよろしくお願いします。

